【すいか×夏】をテーマに、おくさんがよみものを綴ってくれました🐇✏️🍉

もうすぐお盆休みですね。
先月、祖母が亡くなってからちょうど10年目の命日を迎えました。
当時私は県外へ進学したばかりの大学1年生。新しい生活に必死で食らいつきながら、初めての期末テストに向けて勉強にレポートに大忙しだった中での急な知らせでした。
茫然としたまま欠席届を出し、高速バスで故郷へ向かう道中のこと。
少し前まで暗記科目を詰め込んでいた頭の中の隅々に、まだまだ振り返りたくなかったはずの祖母との思い出が無情にも流れ出て来ます。

祖母は、感情豊かでユーモアに溢れた人でした。料理教室へ通ったりフォークダンスを習ったり、時には親友と長電話したりして、友好関係にも恵まれ充実した日々を過ごしていました。
そして私は何より、祖母のボキャブラリーが好きでたまらなかった。
例えば私と弟をジャスコ(今のイオン)に誘う時は、
「ねぇ、ジャー行こう!ジャー!ばあちゃん、あんた方とプリクラ撮りたいの!」
と言ってきたり、
しょうもない凶悪詐欺集団のニュースを見た時には、
「はあ…せっかくの良い頭、こんな事に使うなんて、この人達ほんとバクだね!バク!」
と呟いたりするのです。
たぶんストレートにバカと言いたいのでしょうが、教育上良くない単語を孫が乱用する事を危惧してか、全く包みきれていないオブラートに包んだ発言を心がけていたのでしょう。
心配症で口うるさい面も多々ありましたが、いつも私が描く絵をとびきり喜んではすぐに居間に飾ってくれている姿を見て、たまに小言を言ってくるのも愛情ゆえなのだとすぐに気付かせてくれるあたたかい人でした。

「ほれ!前代未聞のオバケスイカが来たよ!」
小学3年生、夏の学校帰り。
弟と祖父母の家に預けられたある日、夕飯を終えた食卓に祖母が特大のスイカを切って持ってきてくれたことがありました。
高らかな祖母の笑い声と、私の顔くらいあるんじゃないかと思うほどの大きなひと切れに、圧倒されずにはいられません。
まるで急に高価な壺を持たされたかのような、おかしな緊張感が漂いました。
でも、テーブルの上で同じように目をまん丸にしている弟と嬉しそうな祖父と顔を合わせていたらなんだか面白くなってきて、それから一目散にかぶりつきました。
みずみずしく真っ赤に熟れた果肉。ひと口目のあの、まるで角砂糖をそのまま舌に置いたかのような感動的な甘さが、不思議とどれだけ食べ進めても続いていきます。
いつもならばすぐに吐き出す種までも甘い気がして、いつの間にかそのままガリガリと噛んでは食感すら楽しんでいました。

夢中で何切れも平らげた後にふと見上げると、数分前の弟よりも何倍も目を丸くした祖母が台所からこちらを見ています。
「どうしたのばあちゃん、一緒食べようよ」
「…うん。…いやぁ、食べさせ甲斐あるわあ」
よかったわあ。全部食べらいんなんば食べれ。という声を残して洗い物の続きへと戻っていった祖母の声は、かすかに震えていました。
ああ。
ばあちゃん、そういう事だったのか。
当時の私は食がとても細く、服を脱げばいつもあばら骨が見える程にげっそりと痩せていました。
同居せずとも平日によく夕飯を食べさせてくれていた祖母は、具材をすべて小さく切ったり、私が好きな量を盛れるように取り皿制のおかずにしたり…きっと、台所に立つ度に私を想いながら数えきれないほどの工夫をしてくれていたのだと思います。
けれど、どうしても途中で箸が止まってしまう。
学校の給食ならまだしも、美味しくて大好きなはずのばあちゃんのごはんすらどうして食べられないんだろう…と私は私なりに毎日悔しかったのだけれど、
原因も分からないまま痩せ細っていく孫を目の当たりにする祖母の気持ちは、もう「悔しい」どころじゃなかったんだろう。
ただ大きなスイカを食べ散らかしただけの孫を見て涙を流してくれたその背中は、これまで影ながら抱えていたであろう祖母の心配や葛藤を、幼い私に初めて優しく気付かせてくれたのでした。
ばあちゃん、そんな私にもどうにか楽しく食べられる物をと思って、スーパーで大変な思いしながらその大きなスイカをレジまで運んでくれたんだよね。
それを「食べるだろうか」と不安になりながらも暑い台所で汗だくで一生懸命切って、運んできてくれたんだよね。
その景色を想像したら私まで涙が止まらなくなって、弟と祖父がまた目を丸くする事態になってしまいました。
そうしてなぜか弟も一緒に泣き始め、しまいには祖父の「なんだ、スイカにかける塩が足りなくて泣いてるのか」という何とも不器用なフォローに皆で笑い泣きするというオチが付いて、やけに甘くて塩辛いオバケスイカの思い出が刻まれることになったのです。

それから約1年が経った小学4年生の春。
私の拒食は自然と落ち着いてゆき、今までの分を取り戻すかのように大好きな祖母の料理をたらふく食べられるようになって、どんどんふくよかになって(笑)、家族にも笑顔が増えたのでした。
どうして私が食べられなかったのか、そして食べられるようになったのか、真相は今でも分かりません。
でもきっと、祖母の涙とオバケスイカがきっかけをくれたのは紛れもない真実でしょう。
焼き鮭のおにぎり、中華飯、オムレツにたらこの海苔巻き、紫蘇ジュース。大量のポテトサラダと、いつも大切にしていた季節の果物。
そして最後に振る舞ってくれたライスカレーとハムエッグ。
スイカにとどまらず、何年経っても鮮明に思い出せる祖母の料理が、私の心の中には山ほどあります。
決して言葉には出さなかったけれど、祖母のメニューが爆発的に増えたのは、私が笑顔いっぱいに楽しく食べられるようになってからのことでした。
ばあちゃん、料理が大得意だったから本当はもっと色々作りたかっただろうし、どんどん食べさせたかった気持ちもきっとあったよね。
でも、私の事を待っていてくれてありがとう。
ばあちゃんのおかげで私は今も、食べることが大好きです。

偶然にも写真に収めていた私、えらい!
今年のお墓参りには、やっぱりお花とスイカが良いかなあ。
でもオバケスイカは、いつかまた会えた時の楽しみに取っておきたいな。
それでは、ばあちゃん、気をつけて帰ってきてね。



