“お誕生日おめでとう”という言葉に込められている想いが、やっとわかったお話🎂🎊🎉


今日もしばうさ.netにあそびにきてくれて、ありがとうございます*
今日はぼくの29歳の誕生日なのですが、
そういえば…と思い出したことがあります💡
それはタイトルにもある通り、
“お誕生日おめでとう”という何気ない言葉に込められている想いが分かりきれず、
なんかもやもやしていた時期が過去にあったなぁというお話です🍰
今はその言葉に込められている想いを自分なりに分かれたので、
素敵な言葉だなと思っているのですが、
過去の自分はどのような理由でそう感じていたのかを、
ここに書き残したいと思います🍀
目次
なぜぼくが“お誕生日おめでとう”という言葉に、なんかもやもやしていたのか
ぼくは20代のなか頃くらいまで、その感覚があったように記憶しています。
その時の気持ちを思い出すと、ぼくは心のなかでこう思っていました。
“お誕生日おめでとうって、なんで誕生日=おめでとうなんだろう…?”
と。
“生まれてきてくれてありがとう”とか、
親にたいして“生んでくれてありがとう”とか、
周囲の人たちに対して“ここまで自分を育ててくれてありがとう”とか…
そういう言葉ならすぐに意味を理解できたのですが、
誕生日という“日”がなぜおめでたいのか、
その部分がわかりませんでした。
今そんな自分を振り返ってみると、かなりめんどくさい人ですね 笑
でも当時のぼくは真剣に、そんなことを感じて考えていました。
気づけば“お誕生日おめでとう”という言葉に込められている想いがわかっていた
でも気づけばいつの間にか、ぼくはその
“お誕生日おめでとう”という言葉に込められている想いが、
なんとなく分かるようになっていました🎉
明確なきっかけは多分なかったはずです。
いつの間にかじんわりと、感じられるようになっていました🍰
今のぼくが自分なり感じている“お誕生日おめでとう”に込められている想い。
それは、
“あなたが生まれてきてくれた日からの〇〇年間、
今日まで無事に生きてくれたことが本当におめでたい🐦️🌳☀️”
だからお誕生日はおめでたいんだと、いつしかそう思っていました🎊✨
今年も無事にお誕生日を迎えられるということは、本当に“おめてたい”こと

かくしてぼくは、“お誕生日おめでとう”という言葉に込められている想いを、
心から理解して、その言葉に想いに馳せられるようになりました🌼
反抗期だったんですかね…笑
今は心から、“お誕生日おめでとう”という言葉に“ありがとう”と感じるし、
なにより、
自分の誕生日を覚えてくれていて、
それをメールでも電話でも直接でも、自分に伝えてくれたというその事実こそが、
ものすごく尊くて幸せなことだなぁと思います(*´ω`*)🌼
だからその人からのそのありがたすぎる想いの上にある言葉は、実はおまけ程度で、大事なのはその前提にある、
“その人の心のあたたかさ”
だと、今は思っています。
今日もしばうさ.netにあそびにきてくれて、どうもありがとう🎂🎊🎉
ふとそんなことを思い出した、29歳の誕生日なのでした(о´∀`о)🌼
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