【御上先生】“自死、殺人、personal is political、考える、教育”とは…色んなことを考えさせられる、日本教育破壊ドラマ【レビュー、感想、評価】


今日もしばうさ.netにあそびにきてくれて、ありがとうございます*
ぼくは“御上先生”が大好きです🐕️💕
なので今回はタイトルにもある通り、
日曜劇場“御上先生”の感想を綴っていきたいと思います❗️

年末に新ドラマとして御上先生のCMをやっていて、“日本の教育を破壊する”ということを言っていたので、これは観るしかないと、おくさんと毎話楽しみに観ていました。
毎回、観た後に何かしら考えさせられるのが御上先生で、さすが“考える”ことがテーマのドラマだなと感心させられました。
人を殺してしまうということは…
自ら命を絶ってしまうということは…
personal is politicalとは…
“考える”とは…
教育とは…
このようなことを深く考えさせてくれるきっかけをつくってくれたドラマが、この“御上先生”です。
そんな“御上先生”の感想を綴っていきたいと思います。
目次
- 1 ドラマ御上先生で一貫して描かれている、“テーマ”とは何なのか?
- 2 ドラマ御上先生は、“真山弓弦”で始まり、“真山弓弦”で終わった。そのメッセージとは?
- 3 ドラマ御上先生のもう1人の最重要人物、“御上宏太”。彼に込められたメッセージとは?
- 4 練りに練られたカリキュラムを盲信するのはもうやめよう。何が本当に大切なのか?自分たちで考えていこう
- 5 今の日本の教育を変革することは必要不可欠。ではどのような教育を行えばよいのか?
- 6 ぼくたちが考えないことで、1番の犠牲になるのは誰か?
- 7 大切な人が辛く苦しいときに、“助けて”と言える環境をつくるには、どうすればいいのか?
- 8 御上先生は、観た後に自然と“考えされられて”いる、ものすごいドラマ
ドラマ御上先生で一貫して描かれている、“テーマ”とは何なのか?
御上先生って、色んなテーマで観ることができるドラマだと感じました。
自死してしまうこと、人を殺してしまうこと、personal is political、考えるとは、教育とは…
色んなテーマでくくることができるストーリーを、あのようにまとめあげたのは本当にすごいと思います。

そんな風に今の日本教育、日本社会にメスを入れるべく、色んなテーマが内包されたこのドラマは、
観た人にとって、何かしらの気付きを与えてくれるドラマなのではないかなと思います。
ただ、ぼく的にこのドラマを1つのテーマでくくるのなら、ぼくは、
“考えることの重要さ”というテーマで、御上先生というドラマを受け取りました。
なぜならそれこそが、いつでも自分自身にできることだと思うからです。
自死も、殺人も、personal is political、教育も、
個人で、みんなで、全体で、考えて、意見を交換すれば、良い方向に向かっていくんだと、このドラマは教えてくれました。
自分の頭を使って考えることが、すべてのことを良い方向へ進めていく1歩目なのだと、深く実感したので、
御上先生のテーマは“考えることの重要さ”だとぼくは感じます。
ドラマ御上先生は、“真山弓弦”で始まり、“真山弓弦”で終わった。そのメッセージとは?
御上先生の登場人物の中での最重要人物は、ぼくは“真山弓弦”だと思います。
真山弓弦というキャラクターに、ドラマ御上先生で伝えたいメッセージが、すべて込められていると思うんです。

彼女は罪のない人を殺してしまった。
これはただの現象であり、結果でしかありません。
なぜそのようなことが起きてしまったのか?
そこを“考える”必要があると思います。
真山弓弦の家庭環境、学校での人間関係、
親はなぜあのような暴力的な人になってしまったのか?
学校側が真山弓弦さんのSOSに気付くことができなかった or 気付いていたのに手を差しのべられなかったのはなぜなのか…?
色んなところに、“考える”余地があると思います。
人を殺したのは“真山弓弦”だけど、悪いのは本当に“真山弓弦”だけ…?
みんなで考える必要がある、日本の、そして世界の重大な問題だと思います。
ドラマ御上先生のもう1人の最重要人物、“御上宏太”。彼に込められたメッセージとは?
最重要人物が2人いるというのは表現的にどうかなとも思いましたが、
やはり真山弓弦と並ぶ最重要人物として、“御上宏太”を挙げねばなりません。

真山弓弦は、人を殺してしまいました。
御上宏太は、自分で自らの命を絶ってしまいました。
この2人は最終的な行動こそ違えど、同じ社会の問題の中で、苦しんでいたと思います。
御上宏太は、日本社会に対して自分なりの思想を持っていて、その表現方法として結果的に、自死という道を選んびました。
ぼくは、この世に生まれてきて1番の悲しいできごとは、“自分で自らの命を絶ってしまうこと”だと思っています。
こんなに辛いことはない。
本気で生きたかった人が、それでもどうにもならずに、最終的に、自分で自らの命を絶ってしまうのだと思います。
本当に心から死にたい人なんて、いるわけないじゃないですか。
自分で自らの命を絶ってしまうという行動は結果でしかなく、なぜそのようなことが起きてしまうのか?ということが最も重要です。
なぜ、自分で自らの命を絶たなければならないほど、苦しい思いをしなければならなかったのか?
なぜ、本人からのSOSに周りは気付けずに、手を差し伸べて守ることができなかったのか?
我々は本気で考えなければいけません。
この世にそのような気持ちで苦しんでいる、真山弓弦や御上宏太のような人たちを、みんなで守っていかなければならない。
それは、最終的には自分を守ることでもあり、
自分の大切な人を守ることでもあります。
真山弓弦と御上宏太というキャラクターがぼくたちに突き付けてくれた日本の現実を、
我々は考えて考えて行動し、現状を良い方向へ変えていかなければいけないと思います。
こんなことを考えさせてくれる御上先生、本当にすごいドラマです。
練りに練られたカリキュラムを盲信するのはもうやめよう。何が本当に大切なのか?自分たちで考えていこう
今だにテレビではドラえもんやクレヨンしんちゃん、ちびまる子ちゃんやサザエさんなどのアニメで、
子どものテストの点数が悪いと頭ごなしに怒る、八つ当たり親が当然のように放送され続けています。
そして、口を開けば勉強しなさいや宿題をしなさいなど、完全に日本の教育システムの思惑通りに染まりきった親たちが、
ついにテレビの外の、現実の親や大人たちにまで影響を与えているように思います。
ですがその指導は、本当にその子にとっての幸せに繋がるのか、そろそろよく考えた方が良いと思います。

ドラマ御上先生では、教科書検定の存在を通して、いかに日本の教育カリキュラムが練りに練られた結果、実行されているかがわかったと思います。
その誰かが考えた教育システムの中で運営されている学校で、子どもたちは嫌というほど檻の中のように縛られて生きているのに、
家でも親が子どもの気持ちに寄り添うどころか、突き放してどうするですか。
そりゃ子どもは安心なんてできなくなるし、ましてそんな親たちに“助けて”なんて言えなくなって当然です。
そういう行き場のない気持ちを放置した結果が、多くの子どもたちや、大人になりきれない大人に時間差で襲ってくる、“感情の爆発”なのだと思います。
テストの点数とか、学校の名前とか、そんなものよりも大切なものをもっと抱きしめて生きたい。
その上でその子が望んでいるなら、勉強をがんばったらいいんだと思います。
少なくとも、子どもたちの気持ちを無視したり放置して、大人たちが義務教育だとか言ってガミガミ勉強やテストの点数でその子の存在を評価するのは、
今すぐにやめるべき重罪な行動であり、そして、今すぐにやめられることだとも思います。

そういうことを子どもにしてしまう親や大人たちも、きっと子どもの頃に自分の気持ちを無視されて、
いろんな価値観を押し付けられて、息苦しい中で生きてきたのかなあと想像はできますが、
だからといって、それを今の子どもたちに繰り返して良い理由には当然ですがなりません。
真山弓弦さんや御上宏太さんのような行動に出てしまう子どもたちを増やさないためにも、
ぼくたちに今すぐにできることは、目の前にあります。
今の日本の教育を変革することは必要不可欠。ではどのような教育を行えばよいのか?
教育って、学校だけがその役割を持っているのではないと思います。
学校の外での教育は、学校での教育と同じかそれ以上に重要だと、ぼくは思います。
では教育とは何か?
やはり御上先生が何度も言っていたように、“いっしょに考える”ことではないでしょうか。

もちろん、教える側と教えられる側がある程度わかれている場での教育も必要だとは思います。
文字を読み書きできるようになることは、人とコミュニケーションをとって豊かに生きていくためにはできた方が良いことだと思うので、
それを教える側と教えられる側にはっきり分かれて教育するというのも大切だと思います。
ですが、答えが複数あったり、画一的な答えが存在しないことについては、みんなでいっしょに考えて、意見を交換し合うという教育も、ものすごく大切だと思います。
ドラマの中でも、そのようなシーンは何度も描かれていました。

ぼくが受けてきた教育というものを振り返ると、答えが自由な問題に対しても、“答えはこれだけ!”といった決めつけ&押しつけの教育を、たくさん受けてきたように記憶しています。
だけど今、自分で考えられるようになってからそのことを振り返ると、なんておかしなことを教えられていたんだろうと思いますね。
考えることは大変で、時間も体力も使うし、めんどくさいから、それから逃げ続けてきた結果が、
真山弓弦や御上宏太が抱えた苦しみに繋がっているのではないかと思います。
人はどこまでも成長し続けられると思うので、誰からでも学ぶ姿勢で、凝り固まった考えを持ちすぎないようにしながら、自分の頭で考えて、生きていきたいものです。
そしてそれを信頼できる人たちと交換し合って、いっしょに考えて、生きていければ最高だと思います。
ぼくたちが考えないことで、1番の犠牲になるのは誰か?
“何の罪もない、ただこの世に純粋に生まれてきただけの、子どもたち”
だとぼくは思います。
考えることを放棄した先の1番の犠牲者は、純粋無垢な子どもたち。
真山弓弦というキャラクターは、まさにそのことを体現したような存在だと思いました。

そんな子どもたちは家庭環境と社会環境に揉まれて、そこが恵まれた環境でなかった場合、
心からの安心感や人との信頼感、それによる幸福感を正常に得られないまま体だけ大人になり、
そのような大人が、新しく生まれた子どもたちに、自分がされたことと同じことを繰り返す。
最悪の連鎖が回り続けているようにぼくは感じます。
心も大人になりたいのになれない大人が、この世界にはぼくも含めて、たくさんいる。
世界を、世の中を一気に変えることはできなくても、自分から考えることをはじめて、自分の身の回りから少しずつ変えていくことで、
結果的に全体が良く変わっていくのだと、ぼくは信じています。
そのためにはまず、自分のことを大切にすること。
そして、自分の大切な人たちのことを、正しいやり方で大切にする。
その良い循環がやがて大きく広がっていくように願って、ぼくは今日も生きていきます。
少なくとも、何の罪もない子どもたちを、今の大人たちや社会の犠牲にしてはならないと、強く思います。
大切な人が辛く苦しいときに、“助けて”と言える環境をつくるには、どうすればいいのか?
生理用品を万引きをした椎葉さんが、その行動をとった理由を、
“私がここにいるってことを、見つけてほしかった”
と言ったのには、本当に胸が痛みました。
真山弓弦や御上宏太のように、椎葉さんの問題は直接、命に関わってはいませんが、
椎葉さんが犯罪を実行するまで、椎葉さんの周りの人たちが誰も、彼女のSOSに気付くことができなかったことが、重要な問題だと思います。

その後、ストリートファイターの富永さんに辛い出来事が起きたとき、富永さんは素直に、次元と御上に助けを求めていました。
御上先生はそれに対して、“ちゃんとSOSが出せた。偉かったよ。よく電話してくれたね。”と言っていましたが、
これは辛いときに“助けて”と言える環境を周りが整えていたことによる素晴らしい結果だと思います。
よく、“助けを求めない人が悪い”という考えを聞いたりしますが、それはぼくは違うと思います。
なぜなら、助けを求めて本当に救われるなら、人は自然と周りの人に助けを求めるからです。
助けを求めても、SOSのサインを出しても、結局気付いてもらえなかったり、見てみぬふりをされたり、
気付いてはもらえるけど、その後の言葉や行動に辛い思いをしたり、
そういったことがあると、人は辛いときに助けを求められなくなるのだと思います。
だからこそ周りが!大切な存在に助けを求めてもらえるような関係性を、日々の暮らしで築くことが大切で、
そして本人が自ら助けを求めていなくても、心ではSOSを出しているという状況を見逃さないように、普段からよく見て、話をすることが大切なのだと思います。
そして可能な関係であれば、触れ合ったりハグをしたりというスキンシップを、日常的に大切にする。
ぼくたちにできることは、こういうことなのだと思います。
御上先生は、観た後に自然と“考えされられて”いる、ものすごいドラマ

ということで今回は、日曜劇場“御上先生”の感想を綴ってきました。
感想というより、ぼくの思想を熱く語ってしまったような気もしますが、
それくらい“御上先生”というドラマが、観た後に深く考えさせられるドラマだということの、表れでもあると思います。
今こそ日本国民が目覚めるときではないでしょうか!
自分の頭で考えて、自分と大切な人たちを、守って楽しく生きていきましょう!
今日もしばうさ.netに遊びにきてくれて、どうもありがとう*
御上先生がよく言っていた言葉、“考えて、考えよう、そうだね”は、とても大事な言葉なので、日常生活でもつい使ってしまいます 笑
御上先生と槙野のコンビも、かっこよくてしびれました!
3年2組の生徒のみなさんも魅力的な方ばかりで、本当に素敵なドラマでした✨
御上先生の製作に携わったすべての方々、本当にありがとうございました!!
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